三森 1308M 3等 中津川(中津川) 山系・恵那山 2016.10.16.
三森の山頂稜線は、見事なコウヤマキ、ヒノキの巨木、大木の疎林であった。
起点(本谷第6砂防堰堤上流側の待避所14/砂防工事用のチェーンゲート)・706>742・868P北西屈曲点の大広場・747>815・取り付き・821>839・尾根出合(960m)・841>932・標識「大滝分岐」(1140m)・934>1023・三森分岐1294P・1028>1111・最高点1320mコブ>1136・点名三森・1219>1241・最高点1320mコブ>1310・三森分岐1294P・1317>1337・標識「大滝分岐」・1338>1411・取り付き付近(920m)・1414>1430・釜沢大滝(釜)・1434>1448・取り付き>1537・起点
三森は、恵那山北方稜線、落合川と温(ぬるま)川の分水嶺の一角を成し、山頂部が三つのコブから成ることからこの名がある。その山頂一帯は国有林で、コヤマキ、ヒノキの巨木、大木が疎立しているが、林床は、所々で密で丈高のササで覆われている。
この山は、明治初期に坂下の実利(じつかが)行者によって拓かれた恵那山の旧登山道落合道を1294pまで辿った後、北へ山頂部を往復した。
起点は、608P南東約250mにある本谷第6砂防堰堤上流側の待避所14。ここに砂防工事用のチェーンゲートがあった。舗装された立派な治山運搬道を行くと、868Pを巻いた先、車道が南東から南へ曲って下り勾配となる所に砂防工事用のプレハブ小屋。大きなえん堤上流側で川原に出ると、なお治山運搬道が本谷第10砂防堰堤直下まで続いていた。その数十メートル手前の山側は、草付きの法面。実はここにトラロープが垂れていて、正規の取り付きであったが、それに気が付かず、その十数メートル手前で山手から土砂が押し出した所から取り付いた。
途中、苔生した石がゴロゴロしたサコ状斜面を東へよじ登ると、出合った尾根には細々と造林作業路が付いていた。間もなく西から正規の立派な道が出合うと、崩落のせいで所々キレット状となったが、地図でもそれとわかる台地状となると、枝打ちがなされたヒノキの高木林となった。林床は、疎で丈高のササ。台地の西端を造林作業路で南進すると、台地上端の「大滝分岐」なる古い標識から南東へひとしきり急登。やがてコウヤマキ、ヒノキの大木林となると、北西尾根に出て、このわずか南東で地図にはないが、1285mで顕著なコブとなった。ここになぜか、賑々しく古いマーキング類。それで一瞬、ここが三森分岐かと思ったが、鬱蒼とした森の中、南東へ下り、登り返すと、そこが三森分岐の1294Pであった。足元の苔生した石には「界甲三一」と彫られ、脇に長野営林局の古い「山火事注意」の金属板が転がっていた。傍らのヤマハンノキには木製の古い標柱が立て架けられいたが、文字は読めなかった。
いよいよ藪漕ぎかと思ったら、密で丈高のササにトンネルが出現していた。これを潜って北東へ下ると、わずか先で一瞬ササが消えたが、立ち枯れの大木がある所で1250mの最低鞍部となると、身の丈有余のササが被っていた。だが、国有林境なのか、その歩道がササの下にくっきりと続いていた。
以降、すばらしいコウヤマキ、ヒノキの巨木、大木の疎林。鞍部ごとに密で身の丈有余のササの下に道が隠れたが、それ以外の所では、ササが疎で丈低まり、膝から腿丈となってぼくたちを喜ばせた。東、樹間越し、温川対岸には、珍しい眺めの富士見台と天狗薙ぎ。最高点1320mコブ、1310mコブと連続して越すと、登り返したコブに「界甲四一」と彫られた標石があり、その先、ゆるりと北北東へ曲った平凡な棚に、3等三角点三森が埋まっていた。雰囲気の良い「界甲四一」の標石脇で昼食。
往路を戻って本谷の川原に出ると、滝見物に上流へ。手すり付き木段の歩道で本谷第10砂防堰堤頂に出ると、谷の奥にもう滝が覗いていた。土砂で埋まった広い川原を行くと、しだいに滝が大きくなり、水飛沫を浴びて釜に立つと、のけ反るように見上げる大滝。これが、地図にもある釜沢大滝であった。(この山は、中津川のK.S.さんのHP「登山とアマチュア無線の部屋」の2014.6.20.の記録を参照した)古いマーキング類が賑々しい1285mコブから鞍部へ。三森分岐には珍しい自然石の標石。「界甲三一」と彫られていた。三森分岐には、ヤマハンノキに立て架けられた古い木製の標柱も。最高点1320mコブ手前には、根上がりのコウヤマキの巨木。これは、その根を潜る。三森山頂稜線は、コウヤマキ、ヒノキの巨木、大木の疎林。三角点三森は、ごく平凡な棚に。帰路。のんびりと巨木を愛でながら行く。巨木、大木の並木。最低鞍部では、道が密で丈高のササの下に隠れる。釜沢大滝を見物してから帰る。
起点(本谷第6砂防堰堤上流側の待避所14/砂防工事用のチェーンゲート)・706>742・868P北西屈曲点の大広場・747>815・取り付き・821>839・尾根出合(960m)・841>932・標識「大滝分岐」(1140m)・934>1023・三森分岐1294P・1028>1111・最高点1320mコブ>1136・点名三森・1219>1241・最高点1320mコブ>1310・三森分岐1294P・1317>1337・標識「大滝分岐」・1338>1411・取り付き付近(920m)・1414>1430・釜沢大滝(釜)・1434>1448・取り付き>1537・起点
三森は、恵那山北方稜線、落合川と温(ぬるま)川の分水嶺の一角を成し、山頂部が三つのコブから成ることからこの名がある。その山頂一帯は国有林で、コヤマキ、ヒノキの巨木、大木が疎立しているが、林床は、所々で密で丈高のササで覆われている。
この山は、明治初期に坂下の実利(じつかが)行者によって拓かれた恵那山の旧登山道落合道を1294pまで辿った後、北へ山頂部を往復した。
起点は、608P南東約250mにある本谷第6砂防堰堤上流側の待避所14。ここに砂防工事用のチェーンゲートがあった。舗装された立派な治山運搬道を行くと、868Pを巻いた先、車道が南東から南へ曲って下り勾配となる所に砂防工事用のプレハブ小屋。大きなえん堤上流側で川原に出ると、なお治山運搬道が本谷第10砂防堰堤直下まで続いていた。その数十メートル手前の山側は、草付きの法面。実はここにトラロープが垂れていて、正規の取り付きであったが、それに気が付かず、その十数メートル手前で山手から土砂が押し出した所から取り付いた。
途中、苔生した石がゴロゴロしたサコ状斜面を東へよじ登ると、出合った尾根には細々と造林作業路が付いていた。間もなく西から正規の立派な道が出合うと、崩落のせいで所々キレット状となったが、地図でもそれとわかる台地状となると、枝打ちがなされたヒノキの高木林となった。林床は、疎で丈高のササ。台地の西端を造林作業路で南進すると、台地上端の「大滝分岐」なる古い標識から南東へひとしきり急登。やがてコウヤマキ、ヒノキの大木林となると、北西尾根に出て、このわずか南東で地図にはないが、1285mで顕著なコブとなった。ここになぜか、賑々しく古いマーキング類。それで一瞬、ここが三森分岐かと思ったが、鬱蒼とした森の中、南東へ下り、登り返すと、そこが三森分岐の1294Pであった。足元の苔生した石には「界甲三一」と彫られ、脇に長野営林局の古い「山火事注意」の金属板が転がっていた。傍らのヤマハンノキには木製の古い標柱が立て架けられいたが、文字は読めなかった。
いよいよ藪漕ぎかと思ったら、密で丈高のササにトンネルが出現していた。これを潜って北東へ下ると、わずか先で一瞬ササが消えたが、立ち枯れの大木がある所で1250mの最低鞍部となると、身の丈有余のササが被っていた。だが、国有林境なのか、その歩道がササの下にくっきりと続いていた。
以降、すばらしいコウヤマキ、ヒノキの巨木、大木の疎林。鞍部ごとに密で身の丈有余のササの下に道が隠れたが、それ以外の所では、ササが疎で丈低まり、膝から腿丈となってぼくたちを喜ばせた。東、樹間越し、温川対岸には、珍しい眺めの富士見台と天狗薙ぎ。最高点1320mコブ、1310mコブと連続して越すと、登り返したコブに「界甲四一」と彫られた標石があり、その先、ゆるりと北北東へ曲った平凡な棚に、3等三角点三森が埋まっていた。雰囲気の良い「界甲四一」の標石脇で昼食。
往路を戻って本谷の川原に出ると、滝見物に上流へ。手すり付き木段の歩道で本谷第10砂防堰堤頂に出ると、谷の奥にもう滝が覗いていた。土砂で埋まった広い川原を行くと、しだいに滝が大きくなり、水飛沫を浴びて釜に立つと、のけ反るように見上げる大滝。これが、地図にもある釜沢大滝であった。(この山は、中津川のK.S.さんのHP「登山とアマチュア無線の部屋」の2014.6.20.の記録を参照した)古いマーキング類が賑々しい1285mコブから鞍部へ。三森分岐には珍しい自然石の標石。「界甲三一」と彫られていた。三森分岐には、ヤマハンノキに立て架けられた古い木製の標柱も。最高点1320mコブ手前には、根上がりのコウヤマキの巨木。これは、その根を潜る。三森山頂稜線は、コウヤマキ、ヒノキの巨木、大木の疎林。三角点三森は、ごく平凡な棚に。帰路。のんびりと巨木を愛でながら行く。巨木、大木の並木。最低鞍部では、道が密で丈高のササの下に隠れる。釜沢大滝を見物してから帰る。

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