金森山 1703M 時又(上町) 山系・赤石岳>鬼面山 1999.11.14.
2000.2.13.、炭焼山南西尾根から金森山。
起点(K251,不動沢出合)・903>1000・秋葉街道「小川沢」・1015>1110・南東尾根作業道出合・1120>1300・米川、伊藤谷分水界1600m鞍部>1350・分水界1630m地点・1410>1425・金森山1702.5M・1430>1520・分水界1600m鞍部>1636・秋葉街道「小川沢」・1645>1712・起点
金森山は、鬼面山を盟主とする伊那山地第三ブロックにあって、山頂北、約1.5KMの所を、上久堅と遠山郷を結んだ秋葉街道小川路峠が越えている。その峠頂上南の反射板から南を眺めると、ボリュームたっぷりの黒い三角形として、指呼の間にあるが、道がなく、密で丈高のササに覆われている。が、近年、異常繁殖したシカに食され、それが悉く枯れている。
(かつてササが枯れていなかった頃)この山は、麓から峠を辿ってはもちろんのこと、曽山から尾根伝いでも山頂に届かなかったので、小川沢源流部の支沢不動沢(水準点1138.0M北西約550mでK251と出合う)を南西に登って小川路峠「小川沢(おがっさわ)」に出ると、そのまま伊藤谷側を猟師道で巻き、伊藤谷、米川分水界に出ると、この分水界伝いに登頂した。
上町からK251(旧赤石林道)を登り、赤石隧道南口南、二つ目の谷の不動沢に差し掛かると、その出合に「秋葉街道小川路峠入り口」と標柱。この不動沢沿いにあるかなしかの踏み跡を辿ると、クロベの大木が立つ、1420mの源頭鞍部で出合った小川路峠には、「秋葉街道小川沢」の標柱があったが、峠の頂上同様、ここにもかつて茶屋があったとか・・・。
峠を登ると、僅か先で、ササ被る道が右山で左前方に分派。かつて峠頂上から挑んで届かなかったのだからと、これに踏み込むと、間もなく北西からの石ゴロゴロの沢で、道が寸断。
渡ると、対岸に道がなかったが、十数メートル下方で復活している道を発見。これに入って南へ巻くと、間もなく道が雷光形を切って高度を上げた。再び巻くと、間もなく幅約20mの大きな崩落地(地図のガケ記号)に出て、また道が寸断したが、なんと、ここにはワイヤーとロープが張られていた(後年、これは猟師の仕業だと判明)。
これに沿って石ゴロゴロの崩落地を渡ると、巻き登った先で大きな南東尾根に乗ったが、なんと、これには明瞭な道が付いていて、下方へと、西へと続いていた。
ここはもちろん西へ入ると、たちまちササ被る道となったが、突然、崩落地に出て、展望が広がった。中ノ尾根山、常光寺山等、深南部の山々を眺めつつここを渡ると、やがて北北西からの涸れ沢に出て、また道が寸断。沢身に出て対岸を窺えど、道がなく、溜め息交じりにふと沢を見上げると、対のカモシカが、左岸から右岸へと渡るところであった。それならぼくたちも、と涸れ沢を攀じ登ると、すぐ、西北西から支沢。
ここはこの支沢に入ると、間もなく濃密で丈高のササが沢を覆っていて、万事休す。この場合、直登が原則であるが、未熟なぼくたちは、ササに突入すると、巻き続けた。ササは編み込まれていて、疲労困憊。やがて腕が疲れて上がらなくなる頃、突然、落ち葉のジュータンに転がり出た。そして、この先で少しササを分けると、待望の稜線に出た。1610mコブ南西の鞍部であった。
稜線を左に入って南西に登ると、なだらかな1660mコブは、身の丈有余の笹原に、けもの道が錯綜。南に下り始めると、いよいよ行く手樹間に金森山本峰が・・・。「あかん、もう2時前や!」と呻くように、だれかが呟いた。ぼくたちは、もうクタクタだった。登られないとわかると、ガックリきた。ここで昼食。行動食をビールで流し込むと、摩訶不思議、メラメラと闘志が燃え上がった。
リュックをデポし、駆け下り、駆け上った。本峰が黒木の森であったことが幸いし、笹藪がいくらか疎で続いた。やが小広く刈り払われた山頂に到達すると、2等三角点が、少し苔生していた。
往路を起点まで戻り、車のヘッドライトを点して時計を見たら、17時12分であった。不動沢の登りの途中で振り向くと、眼下に旧赤石林道K251と、その向こうに曽山への枝林道。奥は、尾高山。小川路峠から伊藤谷側を猟師道で巻いていると、来し方、「小川沢」の奥に大沢岳と中盛丸山。左手前の鞍部はしらびそ峠。カモシカが渡る涸れ沢手前の崩落地から、行く手に金森山が頭を出す。少し苔生した金森山の2等三角点。その金森山山頂の佇まい。滞在時間は、たった5分間であった。
起点(K251,不動沢出合)・903>1000・秋葉街道「小川沢」・1015>1110・南東尾根作業道出合・1120>1300・米川、伊藤谷分水界1600m鞍部>1350・分水界1630m地点・1410>1425・金森山1702.5M・1430>1520・分水界1600m鞍部>1636・秋葉街道「小川沢」・1645>1712・起点
金森山は、鬼面山を盟主とする伊那山地第三ブロックにあって、山頂北、約1.5KMの所を、上久堅と遠山郷を結んだ秋葉街道小川路峠が越えている。その峠頂上南の反射板から南を眺めると、ボリュームたっぷりの黒い三角形として、指呼の間にあるが、道がなく、密で丈高のササに覆われている。が、近年、異常繁殖したシカに食され、それが悉く枯れている。
(かつてササが枯れていなかった頃)この山は、麓から峠を辿ってはもちろんのこと、曽山から尾根伝いでも山頂に届かなかったので、小川沢源流部の支沢不動沢(水準点1138.0M北西約550mでK251と出合う)を南西に登って小川路峠「小川沢(おがっさわ)」に出ると、そのまま伊藤谷側を猟師道で巻き、伊藤谷、米川分水界に出ると、この分水界伝いに登頂した。
上町からK251(旧赤石林道)を登り、赤石隧道南口南、二つ目の谷の不動沢に差し掛かると、その出合に「秋葉街道小川路峠入り口」と標柱。この不動沢沿いにあるかなしかの踏み跡を辿ると、クロベの大木が立つ、1420mの源頭鞍部で出合った小川路峠には、「秋葉街道小川沢」の標柱があったが、峠の頂上同様、ここにもかつて茶屋があったとか・・・。
峠を登ると、僅か先で、ササ被る道が右山で左前方に分派。かつて峠頂上から挑んで届かなかったのだからと、これに踏み込むと、間もなく北西からの石ゴロゴロの沢で、道が寸断。
渡ると、対岸に道がなかったが、十数メートル下方で復活している道を発見。これに入って南へ巻くと、間もなく道が雷光形を切って高度を上げた。再び巻くと、間もなく幅約20mの大きな崩落地(地図のガケ記号)に出て、また道が寸断したが、なんと、ここにはワイヤーとロープが張られていた(後年、これは猟師の仕業だと判明)。
これに沿って石ゴロゴロの崩落地を渡ると、巻き登った先で大きな南東尾根に乗ったが、なんと、これには明瞭な道が付いていて、下方へと、西へと続いていた。
ここはもちろん西へ入ると、たちまちササ被る道となったが、突然、崩落地に出て、展望が広がった。中ノ尾根山、常光寺山等、深南部の山々を眺めつつここを渡ると、やがて北北西からの涸れ沢に出て、また道が寸断。沢身に出て対岸を窺えど、道がなく、溜め息交じりにふと沢を見上げると、対のカモシカが、左岸から右岸へと渡るところであった。それならぼくたちも、と涸れ沢を攀じ登ると、すぐ、西北西から支沢。
ここはこの支沢に入ると、間もなく濃密で丈高のササが沢を覆っていて、万事休す。この場合、直登が原則であるが、未熟なぼくたちは、ササに突入すると、巻き続けた。ササは編み込まれていて、疲労困憊。やがて腕が疲れて上がらなくなる頃、突然、落ち葉のジュータンに転がり出た。そして、この先で少しササを分けると、待望の稜線に出た。1610mコブ南西の鞍部であった。
稜線を左に入って南西に登ると、なだらかな1660mコブは、身の丈有余の笹原に、けもの道が錯綜。南に下り始めると、いよいよ行く手樹間に金森山本峰が・・・。「あかん、もう2時前や!」と呻くように、だれかが呟いた。ぼくたちは、もうクタクタだった。登られないとわかると、ガックリきた。ここで昼食。行動食をビールで流し込むと、摩訶不思議、メラメラと闘志が燃え上がった。
リュックをデポし、駆け下り、駆け上った。本峰が黒木の森であったことが幸いし、笹藪がいくらか疎で続いた。やが小広く刈り払われた山頂に到達すると、2等三角点が、少し苔生していた。
往路を起点まで戻り、車のヘッドライトを点して時計を見たら、17時12分であった。不動沢の登りの途中で振り向くと、眼下に旧赤石林道K251と、その向こうに曽山への枝林道。奥は、尾高山。小川路峠から伊藤谷側を猟師道で巻いていると、来し方、「小川沢」の奥に大沢岳と中盛丸山。左手前の鞍部はしらびそ峠。カモシカが渡る涸れ沢手前の崩落地から、行く手に金森山が頭を出す。少し苔生した金森山の2等三角点。その金森山山頂の佇まい。滞在時間は、たった5分間であった。







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