峠山 1416M 3等 伊那(藪原) 山系・木曽駒ヶ岳 2001.11.11.
2008.3.9.、奈良井宿から峠山。
起点(JR中央本線藪原駅)・645>740・送電鉄塔96・745>828・神谷峠頂上・838>915・点名炭山1351.5M・920>959・反射板・1013>1031・三村境界1451P>1122・点名塩水1399.8M・1133>1149・林道終点>1233・峠山1415.7M・1354>1443・鳥居峠頂上・1448>1603・起点
中山道十一宿の一つ、当時の面影を色濃く残して軒を連ねる奈良井宿に立つと、庇の向こう側にこの宿場町を見下ろすように聳える山が南側に眺められるが、これが峠山で、その北側、飛騨山脈と木曽山脈の最低鞍部を、峠山の名の由来である、中山道鳥居峠が越えている。一方、峠山の南の鞍部を、奈良井の羽渕と宮ノ越の神谷を結んで姥神峠が越えていたが、奈良井と鳥居峠で結ばれていた藪原は、神谷峠でこの神谷と結ばれていた。
秋も深まった11月、藪原を起点に峠山を、神谷峠、鳥居峠と結んで周回した。
朝は6時過ぎ、藪原は濃い霧の中に沈んでいた。R19を東に渡ると、陸橋からなにやら人が呼ぶ声。見上げると、ぼくたちになにやら伝えようとする通勤の人。行き交う車の音に掻き消されそうであったが、どうやら彼はぼくたちに、神谷峠の道を教えようとしているようであった。
先を急ぐ彼ともどかしげに別れ、神谷峠頂上を源頭とする沢に沿って延びる道に入って、堰堤の下流側で左岸に渡ると、そこに石碑「水神」。その脇に、探さねば…と思っていた送電線の巡視路が見つかった。
なお左岸を遡る道を分け、カラマツ林の中に巡視路を辿ると、やがて鉄塔で展望が広がった。振り向くと、来し方、霧氷に飾られたカラマツがその海岸線を引く雲海に、小鉢盛、鉢盛が浮かんでいた。
以降、ミズナラ林となった尾根を登ると、巡視路を右に分けた先で、日義、木祖の境界に出て、これを東に下ると、当面の目標であった神谷峠頂上となった。そこに「右 神谷を経て宮ノ越」とかろうじて読める、古い標柱があったが、その神谷への峠道は、藪っぽかった(後年、神谷を起点に姥神峠、神谷峠と結んで周回)。
カラマツ林の中、日義、木祖境界を東に登ると、扁平なコブ上に4等三角点炭山。東の鞍部からブナが交るようになると、1400m辺りで突然、反射板が現れて、御嶽、大笹沢山、乗鞍、十石山、焼岳、鉢盛、そして眼下にはのどかな佇まいを見せて藪原、小木曽の家並みと、一気に展望が広がった。
ブナ、ミズナラに大木が散見されるようになった中を東に登ると、やがて楢川、日義、木祖の三境界となった1451P。ここは北、楢川、木祖境界に入ると、その葉が降り注ぐカラマツ林が延々と続いたが、林床は、シダ、小ササ、あるいはカヤと、表情豊か。地図にない4等三角点塩水1399.8M脇を通過し、楢川側がミズナラの疎林となると、奈良井川の対岸に、霧氷に飾られた坊主岳、仏谷山、経ヶ岳の全姿。
小ササの中を急下降すると、鞍部でピッカピカの新林道に出て、これを北に登ると、途中、来し方に木曽駒連峰がせり上がって来た。ハギ群落する中を登ると、胸の透く展望が広がって電波塔。来し方に深々と谷を刻んで蛇行する木曽川。雲棚引く御嶽。台ヶ峰、糸瀬山、南木曽岳等々、重畳たる木曽の山並み。そして重厚な木曽駒連峰。次の電波塔で藪原へと林道を分け、なお尾根線に林道を行くと、三番目が「建設省峠山無線中継所」の巨大電波塔。ノリウツギの梢のドームを潜って登り、林道が二分する所をそのまま真っ直ぐ尾根線を登ると、僅か先に峠山の3等三角点が埋まっていた。僅か先、右に分けた林道終点には巨大反射板。脇に立つと、青い奈良井ダム湖の向こうに坊主岳が見事。来し方には木曽駒連峰。北眼下には、奈良井宿。その奥、彼方に美ヶ原が覗いていた。ここで昼食。
帰路は、楢川、木祖の境界を北に入ると、東側が植栽後間もない伐採地となっていて、乗鞍、鉢盛、そして眼下に奈良井宿と眺めながらの展望尾根が続いた。やがて鳥居峠に出ると、大勢のハイカーに交って中山道を藪原へと下った。送電鉄塔から雲海に浮かぶ鉢盛、小鉢盛。神谷峠を行く。神谷峠から反射板へ。反射板から藪原。後方の鞍部は、境峠。その奥に十石山、焼岳(右)。山頂で、奈良井ダム湖を眺めながら昼食。山頂から奈良井川の対岸に坊主岳。眼下に奈良井宿を眺めながら鳥居峠へと下る。藪原宿を通って藪原駅へ。
起点(JR中央本線藪原駅)・645>740・送電鉄塔96・745>828・神谷峠頂上・838>915・点名炭山1351.5M・920>959・反射板・1013>1031・三村境界1451P>1122・点名塩水1399.8M・1133>1149・林道終点>1233・峠山1415.7M・1354>1443・鳥居峠頂上・1448>1603・起点
中山道十一宿の一つ、当時の面影を色濃く残して軒を連ねる奈良井宿に立つと、庇の向こう側にこの宿場町を見下ろすように聳える山が南側に眺められるが、これが峠山で、その北側、飛騨山脈と木曽山脈の最低鞍部を、峠山の名の由来である、中山道鳥居峠が越えている。一方、峠山の南の鞍部を、奈良井の羽渕と宮ノ越の神谷を結んで姥神峠が越えていたが、奈良井と鳥居峠で結ばれていた藪原は、神谷峠でこの神谷と結ばれていた。
秋も深まった11月、藪原を起点に峠山を、神谷峠、鳥居峠と結んで周回した。
朝は6時過ぎ、藪原は濃い霧の中に沈んでいた。R19を東に渡ると、陸橋からなにやら人が呼ぶ声。見上げると、ぼくたちになにやら伝えようとする通勤の人。行き交う車の音に掻き消されそうであったが、どうやら彼はぼくたちに、神谷峠の道を教えようとしているようであった。
先を急ぐ彼ともどかしげに別れ、神谷峠頂上を源頭とする沢に沿って延びる道に入って、堰堤の下流側で左岸に渡ると、そこに石碑「水神」。その脇に、探さねば…と思っていた送電線の巡視路が見つかった。
なお左岸を遡る道を分け、カラマツ林の中に巡視路を辿ると、やがて鉄塔で展望が広がった。振り向くと、来し方、霧氷に飾られたカラマツがその海岸線を引く雲海に、小鉢盛、鉢盛が浮かんでいた。
以降、ミズナラ林となった尾根を登ると、巡視路を右に分けた先で、日義、木祖の境界に出て、これを東に下ると、当面の目標であった神谷峠頂上となった。そこに「右 神谷を経て宮ノ越」とかろうじて読める、古い標柱があったが、その神谷への峠道は、藪っぽかった(後年、神谷を起点に姥神峠、神谷峠と結んで周回)。
カラマツ林の中、日義、木祖境界を東に登ると、扁平なコブ上に4等三角点炭山。東の鞍部からブナが交るようになると、1400m辺りで突然、反射板が現れて、御嶽、大笹沢山、乗鞍、十石山、焼岳、鉢盛、そして眼下にはのどかな佇まいを見せて藪原、小木曽の家並みと、一気に展望が広がった。
ブナ、ミズナラに大木が散見されるようになった中を東に登ると、やがて楢川、日義、木祖の三境界となった1451P。ここは北、楢川、木祖境界に入ると、その葉が降り注ぐカラマツ林が延々と続いたが、林床は、シダ、小ササ、あるいはカヤと、表情豊か。地図にない4等三角点塩水1399.8M脇を通過し、楢川側がミズナラの疎林となると、奈良井川の対岸に、霧氷に飾られた坊主岳、仏谷山、経ヶ岳の全姿。
小ササの中を急下降すると、鞍部でピッカピカの新林道に出て、これを北に登ると、途中、来し方に木曽駒連峰がせり上がって来た。ハギ群落する中を登ると、胸の透く展望が広がって電波塔。来し方に深々と谷を刻んで蛇行する木曽川。雲棚引く御嶽。台ヶ峰、糸瀬山、南木曽岳等々、重畳たる木曽の山並み。そして重厚な木曽駒連峰。次の電波塔で藪原へと林道を分け、なお尾根線に林道を行くと、三番目が「建設省峠山無線中継所」の巨大電波塔。ノリウツギの梢のドームを潜って登り、林道が二分する所をそのまま真っ直ぐ尾根線を登ると、僅か先に峠山の3等三角点が埋まっていた。僅か先、右に分けた林道終点には巨大反射板。脇に立つと、青い奈良井ダム湖の向こうに坊主岳が見事。来し方には木曽駒連峰。北眼下には、奈良井宿。その奥、彼方に美ヶ原が覗いていた。ここで昼食。
帰路は、楢川、木祖の境界を北に入ると、東側が植栽後間もない伐採地となっていて、乗鞍、鉢盛、そして眼下に奈良井宿と眺めながらの展望尾根が続いた。やがて鳥居峠に出ると、大勢のハイカーに交って中山道を藪原へと下った。送電鉄塔から雲海に浮かぶ鉢盛、小鉢盛。神谷峠を行く。神谷峠から反射板へ。反射板から藪原。後方の鞍部は、境峠。その奥に十石山、焼岳(右)。山頂で、奈良井ダム湖を眺めながら昼食。山頂から奈良井川の対岸に坊主岳。眼下に奈良井宿を眺めながら鳥居峠へと下る。藪原宿を通って藪原駅へ。











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