黍生 374M 3等 足助(足助) 山系・茶臼山>段戸山 2007.4.22.
黍生山頂から猿投山方面を眺める。
起点(156P北の鞍部)・632>643・中電越戸足助線鉄塔100>805・黍生374.4M・926>958・林道出合(265m地点)>1013・中電奥矢作東部線鉄塔44>1042・城山353P・1050>1132・中電下村挙母線鉄塔114>1148・林道出合(155m地点)・1151>1202・村社神明社(足助新橋北詰)>1232・起点
この山は、東に足助の町、香嵐渓を見下ろすように立つ小さな山で、その山頂は、平安時代末期、尾張国山田重直の六男重長が、足助へ移住して賀茂六郎重長と称して足助氏の始祖となり、築城したとされる黍生城の城址である。
この山は、足助追分は156P北約200Mの大広場を起点に、黍生の東から南山腹を通っている送電線の巡視路に絡んで登頂後、東隣の城山を経て、神社記号神明社脇でR153に出た。大広場から送電線巡視路に入って北に登ると、前夜からの雨がまだ残っていたが、途中、地図にない送電線の小さな鉄塔脇を通り、クヌギ、クリ、コナラ、アラカシ等々、大木交りの雑木林の中、なおも山道を辿ると、地図にある送電線の大鉄塔が建つ所で、南西から大きな尾根が出合った。平坦な尾根を巡視路で北東に辿ると、間もなく勾配が強まった所から、現れた破線を辿って尾根を左に離れて右山で巻き登り、沢が左から近づくと二又でその沢に降りた。破線は右又に入ると僅か先で消えているが、ここは右又を渡って沢を二分する尾根を登ると、僅か先で左又に降りた。左に巡視路を分け、そのまま左又を登ると、少し先で道が右岸に渡った所に、水場となった大岩。しだいに沢から離れると、突然林道に出てこれを横断し、若葉のコウヤボウキを見ながら大岩散見される雑木林の中を登ると、やがて注連縄が張られた鳥居を潜り、高台となった黍生城址に着いた。北東の隅に大岩二つ。知らぬ間に小雨も止んでいて、眼下には白い霧が谷という谷に沈殿し、モコモコと春のパステルカラーに塗りこめられた山並みが広がっていた。わらび採りに興じた後、丸太に腰掛けて山菜飯を食べた。黍生城はその後平家方に攻められて落城したが、戦国時代まで事あるごとに軍事用に利用されたとか・・・。
東に隣接する城山回りで帰ることとし、東尾根に入ってミツバツツジ、ヤマツツジ、ダンコウバイ、クロモジ等々、若葉溢れる雑木林に明瞭な山道を辿ると、往路で横断した林道の延長をまた横断。大きな尾根を南から合わせると下り勾配が強まり、最後はサコを東に下ると、送電線の真下、南へと落ちる大きな谷で林道に出た。これを横断して巡視路に入って谷を渡り、送電線下を北東に登ると、大きな平坦な尾根で大鉄塔に出た。これを東に入り、コバノガマズミ、ムラサキシキブ、サクラ、クヌギ、コナラ等々、春爛漫の雑木林の中、幼、低木を躱しながら行くと、登り勾配が強まってからは篠竹が入り混じって雑然とし、そのうち倒木も多くなって荒れ放題となった。憮然として行くと、登り詰めた城山山頂は、近頃では希な酷い所であった。
尾根を南西に入って下ると、摩訶不思議、滑らかに落ち葉が散り敷いた美しい雑木の疎林が続いた。右手、谷の向こうは、黍生の斜面が春のパステルカラーでモッコモコ。「うーん、春爛漫やねー」と、一同感嘆の声を漏らして行くと、往路の送電線に並行する別の送電線の鉄塔に出た。この巡視路に入ると、送電線下にサコを渡り、痩せ尾根を越え、炭焼き窯跡が見られる落ち葉堆積した涸れ沢を下り、南へと落ちる大きな谷で、上方で横断した林道に出た。行く手に岩神の家並みを眺めながらこの林道で谷を下ると、神明社脇でR153に出た。これを横断し、巴川も連続して渡ると、左岸に東海自然歩道を辿って登山口まで戻った。大広場から山間に長閑に開けた田を眺めながら、送電線の巡視路を登る。山頂から春爛漫の山並みを見はるかす。城山から尾根を南西に下る。右の谷の向こうは、春のパステルカラーに塗り込められた黍生の斜面。この谷に出て下る。
起点(156P北の鞍部)・632>643・中電越戸足助線鉄塔100>805・黍生374.4M・926>958・林道出合(265m地点)>1013・中電奥矢作東部線鉄塔44>1042・城山353P・1050>1132・中電下村挙母線鉄塔114>1148・林道出合(155m地点)・1151>1202・村社神明社(足助新橋北詰)>1232・起点
この山は、東に足助の町、香嵐渓を見下ろすように立つ小さな山で、その山頂は、平安時代末期、尾張国山田重直の六男重長が、足助へ移住して賀茂六郎重長と称して足助氏の始祖となり、築城したとされる黍生城の城址である。
この山は、足助追分は156P北約200Mの大広場を起点に、黍生の東から南山腹を通っている送電線の巡視路に絡んで登頂後、東隣の城山を経て、神社記号神明社脇でR153に出た。大広場から送電線巡視路に入って北に登ると、前夜からの雨がまだ残っていたが、途中、地図にない送電線の小さな鉄塔脇を通り、クヌギ、クリ、コナラ、アラカシ等々、大木交りの雑木林の中、なおも山道を辿ると、地図にある送電線の大鉄塔が建つ所で、南西から大きな尾根が出合った。平坦な尾根を巡視路で北東に辿ると、間もなく勾配が強まった所から、現れた破線を辿って尾根を左に離れて右山で巻き登り、沢が左から近づくと二又でその沢に降りた。破線は右又に入ると僅か先で消えているが、ここは右又を渡って沢を二分する尾根を登ると、僅か先で左又に降りた。左に巡視路を分け、そのまま左又を登ると、少し先で道が右岸に渡った所に、水場となった大岩。しだいに沢から離れると、突然林道に出てこれを横断し、若葉のコウヤボウキを見ながら大岩散見される雑木林の中を登ると、やがて注連縄が張られた鳥居を潜り、高台となった黍生城址に着いた。北東の隅に大岩二つ。知らぬ間に小雨も止んでいて、眼下には白い霧が谷という谷に沈殿し、モコモコと春のパステルカラーに塗りこめられた山並みが広がっていた。わらび採りに興じた後、丸太に腰掛けて山菜飯を食べた。黍生城はその後平家方に攻められて落城したが、戦国時代まで事あるごとに軍事用に利用されたとか・・・。
東に隣接する城山回りで帰ることとし、東尾根に入ってミツバツツジ、ヤマツツジ、ダンコウバイ、クロモジ等々、若葉溢れる雑木林に明瞭な山道を辿ると、往路で横断した林道の延長をまた横断。大きな尾根を南から合わせると下り勾配が強まり、最後はサコを東に下ると、送電線の真下、南へと落ちる大きな谷で林道に出た。これを横断して巡視路に入って谷を渡り、送電線下を北東に登ると、大きな平坦な尾根で大鉄塔に出た。これを東に入り、コバノガマズミ、ムラサキシキブ、サクラ、クヌギ、コナラ等々、春爛漫の雑木林の中、幼、低木を躱しながら行くと、登り勾配が強まってからは篠竹が入り混じって雑然とし、そのうち倒木も多くなって荒れ放題となった。憮然として行くと、登り詰めた城山山頂は、近頃では希な酷い所であった。
尾根を南西に入って下ると、摩訶不思議、滑らかに落ち葉が散り敷いた美しい雑木の疎林が続いた。右手、谷の向こうは、黍生の斜面が春のパステルカラーでモッコモコ。「うーん、春爛漫やねー」と、一同感嘆の声を漏らして行くと、往路の送電線に並行する別の送電線の鉄塔に出た。この巡視路に入ると、送電線下にサコを渡り、痩せ尾根を越え、炭焼き窯跡が見られる落ち葉堆積した涸れ沢を下り、南へと落ちる大きな谷で、上方で横断した林道に出た。行く手に岩神の家並みを眺めながらこの林道で谷を下ると、神明社脇でR153に出た。これを横断し、巴川も連続して渡ると、左岸に東海自然歩道を辿って登山口まで戻った。大広場から山間に長閑に開けた田を眺めながら、送電線の巡視路を登る。山頂から春爛漫の山並みを見はるかす。城山から尾根を南西に下る。右の谷の向こうは、春のパステルカラーに塗り込められた黍生の斜面。この谷に出て下る。







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