上烏帽子山 1840M 大河原(信濃大河原) 山系・赤石岳>鬼面山 2011.8.28.
往路は下烏帽子山を越えて。
起点(高見橋/新九郎滝遊歩道起点)・716>749・林道終点>904・下烏帽子山1496P・925>1042・大鹿、豊丘境界1820mコブ・1057>1111・上烏帽子山1840mコブ>1128・1790mコブ・1222>1237・1740P>1308・栂立山1759.3M・1310>1405・1541P・1408>1421・1470m棚・1439>1529・1160m棚・1540>1622・キダズ洞、無名沢出合>1655・キガズ洞、地獄谷出合>1725・起点
この山は、伊那山地第三ブロック、大西山と鬼面山を結ぶ稜線に、下烏帽子山からの尾根が出合う辺りにある地図上無名の山であるが、下烏帽子山の北、虻川源流部には新九郎の滝があって、その遊歩道起点の案内板には、ちゃんとこの上烏帽子山の名がある。村当局に位置を訊くと、稜線上の三角点1759.3Mとの返答を得たので、長い間これを信じて来たが、そこは栂立山で、上烏帽子山は、冒頭に記した位置にある1840M峰だと、最近判明した。訂正は多岐に亘り、大変迷惑なことであったが、喜ばしきことも発生した。つまり、ぼくたちに、まだ登る山があった、ということが、同時に発生したことであった。
起点は、新九郎滝の遊歩道起点で、新九郎滝からの虻川源流と本谷からの林道の出合い、高見橋の袂である。ここから下烏帽子山、上烏帽子山、1740p、栂立山1759.3M,1541pと経て周回したが、栂立山は以前に一度往復していたにもかかわらず、油断したのか、1541pの西でルートをはずし、一時現在地が未確定になる始末であった。結局降り立ったのは、本谷の上流、支流のキガズ洞出合の滝記号(1015p北西)辺りであった。
下烏帽子も一度往復していたので既知のルート。林道は以前と変わらぬまま随所で土砂に埋まっており、終点も地図の通りであった。ツガ、ブナ、ミズナラ等々、大木交りの自然林の中、下烏帽子山の登りは、随所でのけ反るような坂があったが、悉く右の地獄谷側に迂路を採った。途中、来し方に開けたが、中央アは雲の中。伊那谷の山に来て、いまさら展望でもないので、落胆もせず。1496pを越し、1500Mの棚の奥までは、道があった。ブナの多い林を適当に雷光形を切って急登すると、1600Mあたりからカラマツ交りとなったが、シナノキの老大木も散見。足元は、鹿の溜糞ばかりだ。1770Mを超すと、部厚く苔生した倒木が増え、ブナの幹も苔に覆われたものが多くなって、まるで南アのよう。豊丘、大鹿境界に出ると、うっすらと立ち込めていた霧が取れ、頭上に青空が覗いたりした。大鹿側はカラマツ林で、境界の道が通っていた。
境界を左、東に入り、ミツバオウレン、セリバオウレン、カタバミ、マイズルソウ等々、群落する部厚く苔生した林の中をゆるゆる登ると、そこが上烏帽子山の山頂であった。大鹿側のカラマツ林が一層スッキリとし、苔生した林床にシダが群落。サワギクが咲く道を下ると、1790Mのコブで大鹿側に大きく開けたので、ここで昼食としたが、奥茶臼、前茶臼、南アに架かった雲が取れることはなかった。
歩き始め、大鹿側に尾根を分けると、カラマツ林がそれとともに遠ざかり、自然林の中で1740pを通過。トウヒ、ツガ等、大木の疎林となった1750Mコブを越すと、台地状に広がった鞍部に、苔生したコハウチハカエデ、イタヤカエデ、ダケカンバ等々、垂涎の自然林。ゆるりと登り返すと、1750Mの台地は滑らかに落ち葉で覆われ、そこにヌタ場となった水溜り。ここで境界を離れ、北西にゆるりと登ると、そこに三角点栂立山1759.3Mが埋まっていた。
尾根を西に入り、ツガの多い黒木の森を下ると、1710M辺りから南側が伐採地跡となって続いた。大展望のはずであったが、視界を閉ざす白い霧。1620Mから1600Mにかけては岩場。前回、南側を往復したが、今回はカラマツの幼、低木で藪っぽく、スッキリした北側を巻くと、岩場の基部をへつることになって慌てた。途中、1530Mの長いコブを南側から明瞭な道で巻くと、鞍部で窪んだ道が横断。登り返し1541pを南西に越すと、1500Mで有力な、そして明瞭な尾根を南に分派。曖昧な方の西尾根に入ると1480M辺りから南側がまた広々と伐採地跡となって大きく開けた。サコの向こう側、分けた南尾根に小屋替わりにしたと思しき廃棄バス。それは、竜東地方の得意技、ワイヤーでつり上げたものであった。ここからルートを逸れてしまったのであった。本谷辺りから、行く手の谷奥に下烏帽子山。林道を寸断した崩落地を渡る。うっすらと霧立ち込める中、下烏帽子山を登る。上烏帽子山頂の佇まい栂立山山頂付近の水溜りここからルートを逸らした1470Mの棚ルートを逸らし、途中からこの画像の谷を西に下ると、破線が通るキガズ洞に出た。
起点(高見橋/新九郎滝遊歩道起点)・716>749・林道終点>904・下烏帽子山1496P・925>1042・大鹿、豊丘境界1820mコブ・1057>1111・上烏帽子山1840mコブ>1128・1790mコブ・1222>1237・1740P>1308・栂立山1759.3M・1310>1405・1541P・1408>1421・1470m棚・1439>1529・1160m棚・1540>1622・キダズ洞、無名沢出合>1655・キガズ洞、地獄谷出合>1725・起点
この山は、伊那山地第三ブロック、大西山と鬼面山を結ぶ稜線に、下烏帽子山からの尾根が出合う辺りにある地図上無名の山であるが、下烏帽子山の北、虻川源流部には新九郎の滝があって、その遊歩道起点の案内板には、ちゃんとこの上烏帽子山の名がある。村当局に位置を訊くと、稜線上の三角点1759.3Mとの返答を得たので、長い間これを信じて来たが、そこは栂立山で、上烏帽子山は、冒頭に記した位置にある1840M峰だと、最近判明した。訂正は多岐に亘り、大変迷惑なことであったが、喜ばしきことも発生した。つまり、ぼくたちに、まだ登る山があった、ということが、同時に発生したことであった。
起点は、新九郎滝の遊歩道起点で、新九郎滝からの虻川源流と本谷からの林道の出合い、高見橋の袂である。ここから下烏帽子山、上烏帽子山、1740p、栂立山1759.3M,1541pと経て周回したが、栂立山は以前に一度往復していたにもかかわらず、油断したのか、1541pの西でルートをはずし、一時現在地が未確定になる始末であった。結局降り立ったのは、本谷の上流、支流のキガズ洞出合の滝記号(1015p北西)辺りであった。
下烏帽子も一度往復していたので既知のルート。林道は以前と変わらぬまま随所で土砂に埋まっており、終点も地図の通りであった。ツガ、ブナ、ミズナラ等々、大木交りの自然林の中、下烏帽子山の登りは、随所でのけ反るような坂があったが、悉く右の地獄谷側に迂路を採った。途中、来し方に開けたが、中央アは雲の中。伊那谷の山に来て、いまさら展望でもないので、落胆もせず。1496pを越し、1500Mの棚の奥までは、道があった。ブナの多い林を適当に雷光形を切って急登すると、1600Mあたりからカラマツ交りとなったが、シナノキの老大木も散見。足元は、鹿の溜糞ばかりだ。1770Mを超すと、部厚く苔生した倒木が増え、ブナの幹も苔に覆われたものが多くなって、まるで南アのよう。豊丘、大鹿境界に出ると、うっすらと立ち込めていた霧が取れ、頭上に青空が覗いたりした。大鹿側はカラマツ林で、境界の道が通っていた。
境界を左、東に入り、ミツバオウレン、セリバオウレン、カタバミ、マイズルソウ等々、群落する部厚く苔生した林の中をゆるゆる登ると、そこが上烏帽子山の山頂であった。大鹿側のカラマツ林が一層スッキリとし、苔生した林床にシダが群落。サワギクが咲く道を下ると、1790Mのコブで大鹿側に大きく開けたので、ここで昼食としたが、奥茶臼、前茶臼、南アに架かった雲が取れることはなかった。
歩き始め、大鹿側に尾根を分けると、カラマツ林がそれとともに遠ざかり、自然林の中で1740pを通過。トウヒ、ツガ等、大木の疎林となった1750Mコブを越すと、台地状に広がった鞍部に、苔生したコハウチハカエデ、イタヤカエデ、ダケカンバ等々、垂涎の自然林。ゆるりと登り返すと、1750Mの台地は滑らかに落ち葉で覆われ、そこにヌタ場となった水溜り。ここで境界を離れ、北西にゆるりと登ると、そこに三角点栂立山1759.3Mが埋まっていた。
尾根を西に入り、ツガの多い黒木の森を下ると、1710M辺りから南側が伐採地跡となって続いた。大展望のはずであったが、視界を閉ざす白い霧。1620Mから1600Mにかけては岩場。前回、南側を往復したが、今回はカラマツの幼、低木で藪っぽく、スッキリした北側を巻くと、岩場の基部をへつることになって慌てた。途中、1530Mの長いコブを南側から明瞭な道で巻くと、鞍部で窪んだ道が横断。登り返し1541pを南西に越すと、1500Mで有力な、そして明瞭な尾根を南に分派。曖昧な方の西尾根に入ると1480M辺りから南側がまた広々と伐採地跡となって大きく開けた。サコの向こう側、分けた南尾根に小屋替わりにしたと思しき廃棄バス。それは、竜東地方の得意技、ワイヤーでつり上げたものであった。ここからルートを逸れてしまったのであった。本谷辺りから、行く手の谷奥に下烏帽子山。林道を寸断した崩落地を渡る。うっすらと霧立ち込める中、下烏帽子山を登る。上烏帽子山頂の佇まい栂立山山頂付近の水溜りここからルートを逸らした1470Mの棚ルートを逸らし、途中からこの画像の谷を西に下ると、破線が通るキガズ洞に出た。

この記事へのコメント